ディープインパクトの思い出たくさん

まず友人から今回(2004~05)のPOGでとんでもない化け物がいると教わる。
ニフティーのPOG大会でまだ無名なディープインパクトを指名。
それから数か月後、指名してたことをすっかり忘れていて新馬をあっさり勝ったことを知る。
この時点で早くもチラホラ化け物説が増えてくる。
その情報を頭に入れつつ2戦目の若駒S。
見たこともないような異次元の末脚で圧勝、ワシはもう絶対3冠取れると確信した。
現地で見た皐月賞
パドックで1頭だけ違っていた、3歳馬の中に完成されたシンボリクリスエスが混ざってる、そんな感じに見えた。
1冠目、出遅れなんのその圧勝。
2冠目のダービー当日。
尋常じゃない開門待ちの列、府中本町からの連絡橋があそこまで行列になっているのは記憶にない。
パドックで妙に尻っぱねして不安を煽る煽る。
直線・・・カメラが大外を映すとそこにはディープインパクトが力強く追い込んできていた。
その瞬間、16万人が一斉に手を挙げた・・・真っ黒な群衆ほぼ全てが持っていた新聞掲げてまるで一斉に花が咲いたかのように。
明らかにナリタブライアンと同じコースを走っていた、もう勝てる馬はいない・・・。
3冠直前、現地へどうやって行こうかなー?と模索している最中、スプリンターズS3連単的中し新幹線往復代が出る。
のぞみの始発で京都へ。
恐らく・・・そののぞみに乗っていた8割は・・・同じ目的地。
途中で一切連絡してなかったのに関東の友人と遭遇。
尋常じゃない人の波が京都競馬場へ向かっていた。
その日の京都競馬場は・・・もう菊花賞という雰囲気じゃなかった。
ディープインパクトが3冠達成するというもうお祭り状態。
この日ばかりは馬券を忘れてディープトーク、1レースだけ買ったら8万強の払い戻しで大幅プラス。
当時まだフィルム&一眼レフで写真を撮っていた。
菊花賞が始まる・・・予想外に横山典弘アドマイヤジャパンが粘る粘る粘る。
悲鳴が起こる、レンズ越しに見ていたワシも「まさか・・・」と思ってシャッター切れないでいた。
しかし・・・大外から飛んできて残り200mで勝利を確信したところでようやくシャッター切れてワシの中で1番の写真が撮れた。
あとはもう現地の友人らと泣きながら抱き合って喜んだよ。
間違いない・・・ワシの競馬人生の中で・・・あの瞬間こそが・・・最高の瞬間だったのだと・・・その時確信していた。
もう・・・こんな名馬に出会えることはまずないだろうから・・・。
翌日近所の写真屋で現像出したらお店の人に「京都に行ったんですね!」と話しかけられディープトークしちゃったりw。
有馬記念・・・今日もディープの勝利を確信していたがパドックで異変に気付く。
3冠全てのパドックをしっかり見てきたからこそ馬体に迫力が無いことが解った。
「今日・・・負けるかも・・・」
でも・・・ディープならそれでも勝つと思い込んでいた。
追い込みのハーツクライがまさかの先行策、ルメールの奇襲とも取れる大胆騎乗を前に・・・ディープインパクトはついに敗れてしまう。
中山競馬場の16万の大観衆は・・・静まり返ってしまった。
皆「え?」という顔をして言葉を失っていた。
船橋法典駅までの道、大半の人が呆然としたまま駅に向かっていた。
翌年、天皇賞・春
3200mという舞台で信じられない光景がそこにはあった。
3コーナーから動き始め4コーナーでは先頭に立つ・・・かつてミスターシービー菊花賞でやった乗り方だ。
ディープインパクトが逃げる!という絶対聞くはずのない実況・・・。
誰も追いつけなかった。
宝塚記念・・・ワシに取っては・・・非常に・・・嫌な条件。
阪神で行われるがその年だけは京都競馬場だった。
京都開催の宝塚記念・・・。
それまで1番好きな馬だったのがライスシャワー宝塚記念は・・・1995年の宝塚記念というのは非常にトラウマでたった1度しか見なかったレースでもある。
あの日は過去のプレイバックで1995年の宝塚記念も流れしっかり目を逸らさず見たよ、ここでディープインパクトが勝てば・・・ライスシャワーより好きな馬になれる。
そしてワシ自身のトラウマも吹き飛ばしてくれる・・・そう期待していた。
そしてディープインパクトがまた勝つ・・・ただただ感謝しかなかった。
次は・・・ステップレース1つも使わず凱旋門賞へ直行。
この時ばかりはまるでサッカーのワールドカップで日本が決勝にでも行ったかのような盛り上がりになっていた。
競馬ファンのみならず、一般人にも注目を集めていてテレビ、CMでもやるようになり・・・決戦を迎えた。
現地に・・・行けるわけがないが・・・たまたまアネさまがツアコンの仕事をしていてたまたまロンシャンの近くに仕事で来ていてたまたま時間があったので・・・。
向こうでの馬券を買ってもらえることになった。
30枚は買ったかなー?ただ・・・ギャロ(フランスのJRAみたいな団体)の馬券というのは非常にシンプルで・・・。
レシート用紙に買い目が印刷される程度の安いもの、日本ほどの馬券らしさは全くない。
しかしディープインパクトが1着になることはなかった・・・レイルリンクに敗れまさかの3着。
さらに禁止薬物検出でまさかの失格処分。
まあ今でもアレはフランスの陰謀論が強いと思うが・・・少し体調崩してたディープのために「向こう」の獣医がインピロビウムを使わせたんだろ?じゃあもうクロじゃん。
帰国しジャパンカップ
いつも通り最後方から競馬をしフランスでの敗戦が尾を引いてるんじゃないかと皆が不安視するが・・・。
ここでもそれでも勝つのがディープじゃないか!と言い放ったわ。
この言葉通り勝つ・・・。
最後の有馬記念
前日土曜日に38度の熱を出してしまう。
普通なら回避するだろうけど・・・これを見逃したら一生後悔する、それだけは・・・いや、見れないなら死んだほうがいいと思うようになり・・・。
死んでもいい!と覚悟を決めて12月だというのに徹夜をし場所取り。
友人らを先行させておいて前日の午後3時ぐらいから場所取りですよ。
3冠達成目前の京都競馬場あの頃の空気に似てきた。
ディープインパクトが勝ってラストランというための有馬記念という空気になってきた。
そのせいか・・・ありえないことが次々に起こる。
近くのセブンイレブンは店頭でおでん販売、寒いからこれが次々に売れる。
夜11時頃、明らかに無許可の移動販売の車出現、カレーを結構高値で売り始めるが・・・これがあっという間に売り切れ。
出現して20分も経たないうちに売り切るというプロの犯行だったw。
さらに深夜1時ぐらいに今度は暴走族が出現。
深夜のテンションでおかしくなった待機している競馬ファンは何故か大歓声で出迎えるw。
中にはその暴走族に向かって新聞投げつける人まで(ワシではありません)。
夜が過ぎていく、時間が経つにつれ尋常じゃない待機列が出来ていく。
深夜2時ぐらいに来た人でもう遅刻レベル。
始発なんてもう完全に遅刻でいい場所確保は不可能レベル。
列待機中に何故かワシ、フジテレビとTBSの取材を受けどっちもニュースで流れてしまうw。
7時開門、G1で7時開門というのは異例。
しかもその開門待機列人数・・・おおよそ1万人というから驚きだ。
中山の周辺ってあんまり何もないし普通に民家が多いからさぞ迷惑だっただろーなあw。
場所取った後はさすがに体にガタが来てもうずっと横になって寝袋包まって寝てたわ。
ホープフルSでいったん起きてレース見たらニュービギニングが大外一気を決めたのでもうディープが走ったのかと思ったわw。
最後の時間・・・有馬記念
馬券とかもう関係ない、最後の走りを目に焼き付けたかった。
3コーナー過ぎにエンジンが掛かり一気に先団目掛けて進出していく、カメラもずっとディープを追っている。
4コーナー回った時点でもう勝利を確信しワシはその時点で号泣してた。
何叫んでいたかは覚えてないし声になっていたかも微妙。
顔がくしゃくしゃになるまで泣いて喉がボロボロになるまで叫んだわ・・・。
最終レースが終わり引退式・・・ここでもあふれ出る涙は止められなかった。
もう本当に・・・気の利いた言葉が出てこなかったよ。
ありがとうディープインパクト・・・それぐらいしか・・・言葉が見つからない。
産駒がデビューし次々に活躍していく。
種牡馬としても成功していくが・・・さすがにディープインパクトほどの馬が出てこなかったか・・・まだわからんが。
そして昨日・・・訃報・・・。
悲しいが・・・遅かれ早かれ・・・いつかはこういう日が来ることはわかっていた・・・。
ただ・・・ちょっとばっかり速かったな・・・。
今回のディープインパクトの死・・・失敗とされた手術・・・これが数十年後に生かされることを祈りたい。
武豊は前にこう言った。
サイレンススズカに初めて勝てる可能性を持った馬それがディープインパクトだ」と。
全く対照的な脚質なのにな。
まだ産駒はいるが・・・走ってるが・・・それまで・・・ディープインパクトの伝説は終わらないかな。