はっきり覚えてるよあの瞬間は・・・。

去年の今日。
注文の入ったサンドウィッチ切ろうとしたその瞬間だった。
「あれ?揺れてるねえ〜」
最初は笑って流そうとしたけど徐々に大きくなっていったわけよ。
で、これはヤバイんじゃないの?とその場で腰を降ろした。
小学生の頃かなー?防災センターで震度7ぐらいのを体験出来る部屋で凄い揺れは体験したことはあったが・・・あくまで1階だったわけで。
高いビルって・・・震度+1ぐらい追加されるよ、大袈裟に言うワケじゃないが。
棚にぎっしり置かれてるグラスの群れがこれは危ない!と思って抑えに向かったが・・・。
その間にもグラグラグラグラ揺れて真っ直ぐ歩けない危険な状態。
グラス抑えに行ったけど・・・今思えば自殺行為だったなあ。
あれ全部ワシに向かって落ちたら死んでたかもな・・・。
で、客席に目を向けたら結構お客さん危機感薄く凄いねー凄いねーみたいなこと言いながらその場から動くこともなく普通に座ってるのよ。
さすがに叫んだね。
危険ですので机の下に隠れて下さいー!と。
内心、「あ、今オレかっこいいかも」とか余計なこと考えてたりもしたけど、揺れが一向に収まらず次第に「オレはもう死ぬかな、終わりかな?」と普通に考えちゃったよ。
その後は恐怖心からマヌケにも人生初めて腰を抜かした。
10分ぐらい立ち上がれなかった。
その10分間で自分は冷静にようやくなれたわ。
1つ、ケータイは使えなくなる。
1つ、電車は最大5時間以上は動かない。
1つ、けど帰れなくはない。
すぐに判断したよ、大宮まで歩いて帰ろうと。
まずは窓から外を見て今がどんな状況か判断。
あちこちから煙が上がってるのが事の重大さを理解するのに時間をかけなかった。
新宿駅東口にはおびただしい人が溢れかえってる。
これは主要駅には行くだけ無駄。
実は万が一に備えグーグルマップでの家までの地図シミュレーションをしていてあの時はそれはが本当に生きた。
歩く目的はまず自分の安否を伝えること。
ご存知のようにあの時ケータイは使い物にはならなかった。
そしてラーメン二郎にもそんなに並ばないだろうというぐらいの公衆電話の行列。
これはとりあえず埼玉まで歩くしかない、東京で無理でも埼玉なら・・・と思った。
歩く道中で色んなものを目の当たりにした。
水道管が破裂したのか水浸しの道路。
幼稚園に預けている子供を血相を変えて迎えに飛んできた母親。
近くのマンションの住人なのか公園に集まる人々。
早くもコンビニで大漁に食料品を買い込むご老人。
それでも呑気にゲーセン、パチンコで遊んでる人。
駅の前で途方に暮れるたくさんの人。
自分と同じ様に歩くしかない人々。
警報装置が鳴り響いている建物。
全く車が進まない国道。
入らない情報、繋がらないケータイ。
僅かに入る東北で地震があり津波が来たという事実。
浮間舟渡まで歩いたあたりでようやくケータイが使えるようになる。
安否確認メールが10通以上入ってた。
ヤフーニュースで死者が出てることを知る。
それが地震なのか津波でなのかはわからず。
というか津波で死者ということがあの時は理解できず。
戸田公園で川の水が逆流していてことの重大さを実感。
離れた埼玉にまで影響があるなんて大変なことが起きていると。
6時間以上かけて歩いて帰宅し家でテレビを見て現状をようやく知ることに。
あれから1年・・・。
もう1年か・・・いや、まだ1年か・・・。
自分はもう1年か・・・という気持ち。