今年は・・・色々とあった、あり過ぎた。
41年の人生の中でもトップクラスに入るほど色々あった。
調理師から警備員へ、そして管制官へ、挫折から再び警備員へ。
6月にはオカンが亡くなった、これが1番大きいか。
2019年8月末に倒れてから離れ離れに。
加速してしまった認知症、追い打ちをかけるようにコロナ禍による面会制限。
久しぶりに会えたかと思えば完全に会話は出来なくなっていた。
肺炎になり回復したかと思えば再び悪化、そこからは心構えも出来ないままあっという間だったなあ。
絶対大丈夫という根拠のない思いがありどこか楽観視してた。
6月8日、病院から大至急来るようにと言われた時にそこで初めて緊急事態ということに気が付いたなあ。
多分・・・20時49分ぐらい、その時に同居人のキーホルダーが急に外れて落ちた。
その数分後に再び病院から「まだ着きませんか?」と電話が来る。
多分あれは虫の知らせってヤツだったんだろうな。
結局オカンの死に目には間に合わなかった。
病院について部屋に通されると無機質な機会の警告音が鳴り続けている。
電子表示にはハートマークがありそこには「0」の表示。
すぐに察したよ、間に合わなかったって・・・。
今でも思うこと、あの日管制官の研修で新宿におり昼間病院から危ないという連絡を受けていた。
ただ、どう危ないかという意味を理解していなかったのと研修で頭がそこまで回っていなかったこともあり最悪の事態の想定が出来なかった。
あそこでもし一大事と判断し昼間に仕事切り上げて帰っていればなあ・・・とよく思う。
夕方にぎっくり腰を再発してなかったらそのまま仕事をしていたのかどうなのか。
40年と7ヶ月ほどの時間、少ないのか十分なのかはわからない。
オカンの息子で居られた時間はその40年と7ヶ月。
まあ、2年近く離れ離れの生活をしていたから生活にそこまでの変化はないけどね。
直感だが・・・よほどのアクシデントでもない限りは・・・来年、2022年は大きな動きはないと思うな。
怪我さえ気を付ければどうにでもなる今の状況だし。
総合的に見て・・・近年の中で最も悪い1年だった。
だがしかし・・・最悪の後には必ず最高が待っている。
自分の人生はいつもそうだ、ここ・・・ここさえ乗り切れば・・・必ず最高が待っている。
2022年は最高の1年になるといいな。