果たして挑戦は無駄だったのか・・・

コスモバルクが現役続行から故障でついに引退。
地方競馬所属のまま中央競馬に挑戦し続け海外でG1制覇をするなど長くに渡って走り続けたがついに引退となった。
正直・・・遅すぎた引退に思えてしょうがない。
ピーク時のコスモバルクは強かった。
しかしピークを過ぎたコスモバルクは正直邪魔者に見えてしょうがなかった。
その枠他の馬に譲れよ!と何度思ったことか。
そして、何度レースの邪魔するな!と思ったことか。
天皇賞・秋ジャパンカップ
コスモバルクがもつヨレるクセ。
何故全く改善しようと思わなかったのか。
地方競馬所属でそういう施設がロクに無かったからか?
ボンネビルレコードなんて腰が甘いから坂路調教が出来る中央に入ったぐらいなのに。
ボンネはそれが吉と出て立派に勝てるようになったわけで。
いつでも中央入りできたはずなのにそれを怠った。
そして今日まで現役を続けてきた、故障が無かったら海外で現役を続行するハズだったのだが・・・。
馬主は一体何を考えているんだ?
ゆっちゃ悪いがコスモバルクほどの馬だったらあと2つぐらいG1勝ってたと思う。
地方馬所属で地元に人を集めるんだったらまだしも、地元のレース全く出てないし中央の芝ばかり使う。
だったら最初から中央転厩すべきなのに。
2005年の有馬記念ディープインパクト一色の中で津里先生が空気の読めない(自分で言ってた)バルクー!という声援。
しかし直線で先頭に立ち一瞬「まさか?」と思わせた、あの瞬間はコスモバルクが最も輝いた瞬間だとワシは思う。
馬の功績というのは大事にすべきだとワシは思う。
功績を残したのなら引き際を考えてあげるべき。
コスモバルクという馬の実績・功績は酷く傷付いている。
キングカメハメハダイワメジャーの同期で良きライバル。
ゼンノロブロイハーツクライディープインパクトメイショウサムソンアドマイヤムーンらとの戦い。
負けはしたけど一生懸命走って戦ってきた。
そういう時に引退出来ていればまた色々変わっていただろう。
果たして・・・コスモバルクのこういう挑戦は何だったのか?
無駄だったのか?それとも何かを残せたのか?
実績はあまり残せなかったかも知れないが、記憶にはしっかり残されたのは事実。
もし数年後、数十年後、コスモバルクのような馬が現れた時に、コスモバルクを知らない世代に「昔コスモバルクって馬がおってな〜・・・」という会話は確実に出来る。
まあ、とりあえずお疲れ様。
ワシの1番の思い出は皐月賞だねやっぱ。
コスモバルクメイショウボーラー3連複流しで買ってて外しちゃったんだから(笑)。